善悪真理と霊界の仕組み
天狐。梓真が語る霊界の仕組み。
全てが、天国や楽園に住むのではない
天狐、九尾の梓真は、天使長ミカエルに連れてこられて、状況を深く知ることになります。
梓真は、夫婦の楽園を見て回りながら住人に聞きました。
あの世に来た人々は、全てが、天国や楽園に住むのではないのですか。住人に聞いた後、各階層を探求し、見て回ると、天国以外の場所は、とても人間が住めるような場所ではなく、そんな場所にいる霊人たちは、自分たちが、なぜこの場所に留まっているのかを、考えないようでした。
それは、考えないのではなく考える知恵を、奪われているようでした。
人は地上に生きていた時に、自分の居場所を、変える能力もあり、自分の生き方を、変える知恵もあるのに、霊界に来ると、今いる場所から、変わることもなく、暴言を吐き、血気怒気を、散らしています。
そこには、地獄に、引き込もうとする霊的な力で、引っ張られているようでした。
天使は言います。「私たちは神様の御使いであり、下僕です。その為、神様の許可がなければ、伝えることも、語ることもできない存在です。人は、肉体を持ち生まれると、同時に、神様の善の種を、肉体に宿し、自分の霊魂を、育てる能力を与えられた、素晴らしい存在です。
しかし、その霊魂を、正しく育てることなく、この霊界に来る人が、あまりにも多くいるため、楽園にさえ行けず、中間霊界や地獄に落ちてきます。それはとても深い傷を、神様に与えています
霊界の住人
神様の悲しみは、増えるばかりです。この現状を喜び、踊り回る存在が、存在が1人だけいます。それは悪を作り出し、神に反旗を翻した存在です。
私たちは、天使は、神様の使いであり、喜び、返し感動を、神様にお返しするために創られた存在です。そして、善を育てた人に、仕えることを喜びとする霊界の住人であり、神様の下僕です。
人は神様より善の種を与えられた、神様にとってとても大切な存在です。
それなのに、人は、霊界に来ても、楽園にさえ、行けてません。私たち天使は、神様の許可なく伝えることも、語ることもできないのです。
どうか、この悪な現状を、起こした存在を知り、この悪なる環境から、人が解放されることを願うばかりです。天使たちは口を揃えて、この霊界の現状と、人の置かれた現状を、梓真に、語りかけますが、
悪を引き起こしている、神に、存在について何一つ語りませんでした。
梓真は、悪を作り出す存在について、天使に問いかけました。
私たちは、下神様の御使い、であり、下僕です。
そのため、神様の許可がなければ、伝えることも、語ることもできない存在です。
人間が知るべき悪の根本
悪の根本については、人が自らの力で知る必要があり、私たちがそのことを、話すと人が自分の力で解決したことになりません。そこには、とても重要な法則を破壊してしまう大きな力がかかるので、地上の人々にも、霊界の人々にも伝えることができません。
そういう天使はそれ以上のことを語ろうともしませんでした。
この場所、中間霊界にも、数年、数10年と言う単位で、あるいは、数百年とで、神様からの、恩赦の光が注がれる時があり、その光によって、霊人たちの、住む場所が、少し上がるようでした。
このように、霊界の階級が上がる時、現世で、人々の意識が上がったり、地上で、大きな事件がある時、変化が、訪れることを教えられた梓真でした。天狐、九尾の梓真は、霊界に来て思うのです。
神様がいて、この悪なる現状を、そのままにしているのは、どうしてなのだろうか、霊界の惨状は、目に、余ることが多く、低霊界に行けば、行くほどに、人間の形を、保っていない人を見てきました。
悲惨という言葉が、優しい言葉に思えるほどで、そこには、互いを思いやると言う、愛情を微塵も感じません。そんな霊界が、中間霊界以降に、続いているのです。
天使は言います。
この場所の人々は、1人として、神様の存在も感じませんし、神様の、悲しみを感じません。中間霊界を少し降ると、深海の海ように暗く。天上の光も感じられないほどでしたが、この場所にも数年、数10年と言う単位で、あるいは数百年とで、神様の恩赦の光が、注がれる時があり、その時には天使が群れをなして、天上から降りてきます。
その編隊は、まるでパラシュート部隊が、螺旋を描くように落下してきます。、そして神託を読み上げることで、霊界の住人の階級が少し上がるのです。
地上で一瞬の出来事が、霊界では進まない
地上の人間が、一瞬で考え、行動する。このような、行為が、数年、数十年、数百年かかって1歩踏み出せるか、踏み出せないかと言う、牛歩よりも遅い歩みを見せています。それは、この霊界にいる霊人には、日々の感動がないと言う思いがフツフツと湧いてくるのでした。
それは、心が止まっているため、霊界の人たちは、何度も同じことを、繰り返しているといえます。梓真は思いました。霊界、中間霊界や、下層の部の住人の心に感動がないので、身体も止まっているのではないだろうか。
地上に生きている人間は、絶えず心が、動いているし、感動してよく生きようとしている。
それでも、地上において、神様が願う生き方が、できないのは、なぜだろう、中間霊界や地獄の住人は傍目にみていても、悲惨、極まりない人が、このように、生きて誰が喜ぶのだろうか
もっと、深いところに、原因があるのだけはわかるけど、人を中間霊界や地獄に引っ張って、心の動きを閉じ込めてしまっているあるようでに、思えてならないのです。
人間が、生きるのに、苦しい世界を広げるために、霊界が、あるわけではないと、感じる梓真でした。
霊界の最下層にいる霊人がは、人の姿をしていません。頬がこけ落ちて、肉が腐り、手や足があらぬ方向に向いていても、誰も、関心を持ちません。
肉が腐り悪臭を放っていて、悪臭で目が痛いと言うのを、通り越していて生きているとは言えません。
楽園の住人は言います。特に罪深いのが、淫行で怠惰限りを尽くしています。
殺人、自殺した霊たちが蠢いています。淫行を犯した人間は、淫行を犯した時間で止まっているので、淫行を犯すまでの状況を繰り返し、最後には、気が狂い、暴れまわるといった行為を何十年、何百年と返していますし、その心の動きが、体の表面に色濃く現れるので、行為を犯せば、犯すほど、黒くどんよりとした色が、下腹部に現れ、互いの下腹部をさぐるように遊びますし、男と女の関係なく、集団で1人の女を奪い合ったり、1人の男を奪い憎悪を増幅させています。
また、殺人を犯したり、自殺をした霊人に至っては、同じ状況を、繰り返し、何十回、何百回、何千回と繰り返す。その行為に終わりが見えません。
それは、見るに耐えられないのです。
自殺を、するまでの状況を、繰り返し、人を殺すまでの行動を繰り返すのです。
ビデオの同じ場所を、数回リピートするように繰り返すのです。霊界は、地上での行為が繰り返される場所であるため、愛に生きて善行えば、とても住みやすい場所ですが、
自己中な愛に生き、悪行を行えば、存在も苦しいといえます。
天国は、仲の良い夫婦が、互いに愛し合い、キスをしたり、喜びを謳歌しているのに対して、地獄の底は、真逆の行為に明け暮れるのです。男と女が取っ替え引っ替え、自らの快楽
のために、相手を利用しているのです。
霊界では、レバレッジが効く
その快楽の情は、生きていた時に、感じていたが、地獄に来ると、より強い、快楽の情としてレバレッジが効いて、悪を促進させます。こういった天国と地獄の行為が真逆があることに、梓真は、気づきました。
それは大きな気づきであり、人が善になるのか、悪になるの気づいていませんでした。かが、隠されているポイントでもありました。
梓真の霊界探索を睨み、洞察する者がいることを、梓真はまだ、気づいていませんでした。