死後の世界
天狐、梓真の異界百夜 2夜は、霊界に行く前、体から抜け出た魂が必ず 通る渦巻く洞窟についてのお話です。霊界に行く人が、必ず通過する通路があります。それは、なぜ、あるのか、その意味を見つけるために、天使長ミカエルに、聞きますが、答えてくれません。
楽園に住む、霊人に聞いて、その答えにたどり着き、天使が答えてくれなかった理由も、わかります。また、神様の存在が、永遠であるために、、霊界も、永遠に続く世界であることを知ります。
youtube あの世に行くための入口、
人は必ず、死にます。亡くなった時、霊体の緒が切れて、霊界に行きます。 その時、必ず通過する通路は、広い洞窟の中を、上昇したり、歩いていったりしながら、霊界にたどり着きます。その通路は、なぜ存在しているのでしょう。 霊界は、人が死んだらかならず行く場所です。人が亡くなって、無になるのであれば、生きている間にどんなことをしても、消えてしまうのであれば、人々は悪事の限りを尽くしても、何の後悔もありませんし、いざとなれば、自らが消えて亡くなればいいのです。しかし実際は、霊界があり、霊界で、永遠に生きていくためには、愛を育み、男女が、愛で豊かに暮らしてこそ、霊界でも、豊かに暮らせるのです。人は、霊界は、天国と地獄だけとそのように考えますが、実際は違います。霊界に行くことは、愛を育てていくことが、大切です。 霊界の秘密を探る天狐、九尾の狐 梓真(あずま)の霊界探求の旅です。ファクションであり、霊界探求する、梓真(あずま)の旅の記録をお楽しみください。
天狐、九尾 梓真の旅、
今日は、霊界に入るときの入り口についての話です。
天狐九尾の梓真は、天使長ミカエルに連れてこられて、霊界の状況を深く知ることになります。
今日も1人の男が上から霊界ににやってきました、
この男は黒い霊体でもなく、真っ白とも言えず少しマダラがかって見えました。
この男は、自分が肉体を抜け出して、あの世に来たことを知っているようでした。そこで梓真は、この男についていくことにしました。
この男は、地上から霊界に入り、母の産道を通過するように、渦巻く洞窟を抜けてきました。
梓真は、霊界に来る時、すべての霊体が、母の産道を通過するようにして、あの世に来ることが、不思議でならなかったので、ミカエルに問いかけました。
天使長ミカエル様「人はなぜ、母の産道を通過するように、渦巻く洞窟を通過して、霊界にくるのですか」私は、天使長ミカエル、倭国においては、
鞍馬天狗と呼ばれる神の使い
鞍馬天狗と呼ばれる神の使いです。そのことに対し、私が答えることを、神様から許可をいただいていません。私たちは神様により作られた霊界の住人であり、地上に住んだことがありません。故に、その答えにお答えできないのです。
それ故に、梓真自身が、これから霊界探求して見つけなさい。そう答えるとその場から姿を消しました。
梓真の疑問は、今後も多くなる予感を持ちながらも、目の前の男についていくことにしました。
この1人の男は楽園と中間霊界の間にある霊界の門を通過することになります。
霊界の景色
霊界に入ると、ちょうど地上で高い山を登りながら現れる光景のように、山の中間まで霧に包まれているようで、さらに高い頂上に向かって登っていくと、足元に霧が立ち込めている状況が広がってきます。
低級な霊界に行くほど霧が濃く立ち込めているような場面が現れます。山頂に近づくと、明るく広々とした世界が現れてきます。
ここは霊界が明るい場所のようです。
この場所は広い草原地帯が広がっており、そこでは鳥が歌い、美しい花が咲き動物が楽しく遊んでいます。周りの空気はライラックの香りのような匂いに満たされています。また、宝石よりも明るい虹彩を放ち、水晶のような透明な世界が現れ、立っているだけでも心が清々しくなります。
この場所が低級では無い事は梓真にももわかりました。
ここは深い愛の感動が感じられ、自由と幸福と喜びが自然に感じられる場所です。
地上とは違って、心の中に感じる深い感動と感覚が、そのまま見えていました。そこに住む住人はそれほど多くいませんでした。
梓真は、そこの住人に問いかけました
「ここは、何というか場所ですか」すると、その村の住人が答えてくれました。ここは、仲睦まじい夫婦が来れる場所です。愛を間違えることなく生きた夫婦の楽園です。梓真は:疑問にしていた、もう一つのことを聞きました。「あなた達は、亡くなる時、あの産道を通ってきたのですか」「はい、私たちは、全て、あの産道を通過して、後にこの夫婦の楽園にたどり着いたのです。
霊界の入口 霊界に産まれるための産道
「あの、産道について、伺ってもよろしいでしょうか」「はい:あの産道は、霊界に生まれるための産道です。「霊界に生まれるとはどういうことですか」あなたは、出産を知っていますよね。
私たちは、お父さんとお母さんが、愛し合い 10月10日の後に、お母さんの中から出て現世に生まれます。
そのために、お母さんのお腹の中で、目を準備して、手を準備して、足を準備しながら、お母さんの体の中で五体を準備して、現世に、生まれる時、大変な思いをしながらも、産道を通って生まれ落ちて現世に生まれます。
それは、愛を感じるために生まれてくるのです。そして生まれてると臍の緒を切られて、初めて赤ちゃんとして現世に生まれ落ちます。霊界に来るのも同じなのです。
現世で結婚して、愛を育てて、霊界に来るので、おかあさんの産道を通過するようにして、霊界に来て、霊体の臍の緒を切って、霊界に生まれをしてくるのです。
霊界に行く通路は、霊界に来る道であり、第二の出産といえます。産道は、霊界に新たに生まれるための通路です、天使達は、霊界で創られた存在なので、生まれる感覚を知りません。私たち人間のように、生まれる感覚や愛し合う感覚を知らないので、話すことができないのです。梓真は、こうして人間が、亡くなった時、すべての人間が通過する産道の秘密を教えてもらうことで、1つの疑問が、晴れた気がしました。
ここにいると悩みや心配や辛いことがなく、表情がとても明るく平和な姿です。互いに話す必要もありません。お互いに感じて、為に生き、愛するところです。戦いもなく、憎しみや妬み嫉妬、傲慢のような心もありません。
より大きなことのために、生きる、愛のみのある世界です。いくら地上で善なる生活をしても、適当に暮らして死んだらいくところではありません。美しく生きなければなりません。誰が見ても白い玉のように傷の1つもない水晶のように清くあってこそ、いくことができます。ここで生活する人々は、表情が明るく常に微笑みが溢れて宝石のように輝いています。
梓真は、日々において、、、少しでも恥ずかしくない姿になるように地上生活を、しなければいけないと感じています。
天国と地獄だけじゃない。
この場所からすぐ下に少し下がると、多様な霊界の階層が広がってきます。霊界は、はっきりとしていながらも、多様に階層化されているところです。地上に生きる人間たちが考える霊界は、天国と地獄の2つの階層のみを考えるのですが、実際は数多くの階層で構成されています。
善なるところから、より悪くなるところに、階層されています。
霊界が、このようにいたように、階層化されていても、天国以外の所では心安らかにいられるところはありません。
天国や楽園以外では、生活するのがとても大変で、お互いに悪を中心に自分が正しいと主張し、喧嘩しています。霊界の各階層では、同じ性禀を持ったたちだけが集まって暮らしているので面白くありません。
霊界は、永遠であり、時間空間を超越しています。地上での生活は、霊界に来るための、準備をする場所です。
お母さんのお腹の中で、私たちは体を準備して、生まれなければ、生まれ落ちることができません。
それと同じように、霊界に行くための準備をして、行かなければならないのです。
霊界は、愛を準備していく所、
霊界の空気は神様の愛でできているため、愛を育てて、霊界に来なければ、愛の呼吸ができないので、息苦しい生活が続きます。
ですので地上で、生きるときに、愛を創造することが、私たちのやらなければならないことでもあります。
悪を行えば、チリの集まる場所が、居心地が良くなるため、暗く息苦しい場所を、自分で選んでいきます。
低級な場所を選んでいくのです。
そのために、階層が増えました。それは、決して神様が願って作った場所ではありません。神様は自分の姿に似せて人を作り、人が1人でいるのは良くないと言って男女を作ったので、地上で結婚して、夫婦で愛を創造することを願い。神様自体が永遠であるので、永遠に過ごせる場所としてそこに住む人は愛を創造してくることで、喜びの人生を夫婦で作ることを願って霊界を創ったことがわかります。